1.5

ひとつの仮説をたてるとすれば、喪われたものというのは存在しない。したがって、葬送はできない。喪われたものなどはなにひとつとして存在しないという認識を共有することを第一の目的にする。視点をかえる、ということではない。言葉や形式に飲み込まれた世界から自分自身を掬い上げるのだ。公平などはない。なぜならば、肉体はひとつきりだからだ。

豚は豚の夢をみる、あられもない姿の豚の

売比さんは多情な女で、多情な女ネットワークを駆使し、多情な女のための共和国を作ってそこの総理大臣をしている。売比さんはぼくにはとてもよくしてくれて、半身不随の画家の妻を用立ててくれたり、入れ墨が全身に入った歌人や(耳無し芳子ちゃん)、犬としかセックスをしたことがない女などの怪女たちをあてがってくれるので、感謝に絶えないことしきりである。売比さんに言わせれば、共和国には懺悔室は要らない。要るのは処刑台だけだ。全く頭の下がることだが、ぼくは死刑反対論者なので(推理趣味があるためだ)、売比さんの機嫌をとる程度の社交辞令で話を合わせているが、そんなことは彼女は百も承知であって、つまりは多情な女を侮ってはいけない。それは絶対に、とオベンチャラを付け加えることも忘れないのが得策だ。多情な女共和国にとってフレッシュな男性の供給を怠れば、たちまちのうちに政権は崩壊、武器商人や奴隷商人が隣国から流れてきて、がんじがられめの似非法律家が悪事の限りを尽くすのは目に見えることだから、ネットワーク参加者は努力を惜しまない。男はケーキバイキングのケーキであって、どれだけ皿にキープしておこうとしても、食べきれないうちに腐るだけだ。それならシェアすればいいわけで、愛は惜しみなく与え、肉体は雑巾のように煩雑に扱うのが、この共和国の供養塔の墓碑銘になっている。万国の女たちよ、男はシェアせよ、売比さんは高らかに宣言する。売比さんとはもう五年の付き合いだが、一度も男女の関係になったことはない。あたしは真面目なタイプのひとが好きだから、あんたは論外だよ、とつっぱねるのだ。全くもって、ぼくは真面目なタイプではない。しかし、それとこれは別だろうが、という持論もある。年末の飲み会の帰り道で、出来心を起こし、ぼくはとうとう売比さんに接吻を試みた。良い香水の香りだった。彼女はイヤイヤをして、拒否した。ぼくは彼女のパンツの中に軽業師のように素早く手を差し込んで様子を確かめた。洪水状態だった。売比さんはぼくの頬を平手で叩き、坊やそこまでよ、と言って離れた。彼女は多情な女だった。多情共和国の輝く旗手だ。あたしは、うまい男とはしない、と言ってもう一度だけ接吻をすると、彼女は笑って地下鉄に乗った。すべてが理解できた。宇宙の始まりが理解できた。ニュートンの林檎。ああ、そうなのだ。彼女もぼくも今ここに立っているが、夢を見ているのだ。ぼくたちはこの病棟のこの病室から、いつか脱出せねばならない。手もとらずに。誰にも気付かれずに。

そう、遠くない未来の話である。

milk, sausage, and a little of the conversation

インターネットが監獄を意識させるのか、監獄そのものが意識をもって接続と未接続の間を浮遊しているのか、ぼくには難しくて理解できそうもない。トルコ桔梗が花瓶にびっしりと飾られているのを眺めながら、ぼくは矯子さんを立ちバックで突いていた。矯子さんは2※歳。花も実もある。ぼくは矯子さんの老人みたいに痩せこけた旦那の汚らしい車椅子を想像して果てた。矯子さんはそれが終わるとすぐに服を着て出て行く。ご主人の餌を用意したり、ご主人の車椅子を磨いたり、ご主人の辛辣な質問攻めに耐えたりするために、彼女は忙しいのだった。ご主人は画家なのだそうだが、自殺未遂をして半身不随になった。もう三年も矯子さんの声しか聴いていない。元々片耳しか聴こえていないのそうだが、この頃はその片方もあやしくなっている。画家というよりは美大予備校の講師だった頃に生徒のいちばん奇麗な子だった矯子さんに手をつけ、それで収入が落ち込むことになって、それからは嫌な言い方をすれば転落の連続だ。矯子さんは性欲がつよい。白鵬ぐらいに手がつけられない強さなのだ。ぼくは矯子さんのベストフレンドだし、できるだけ彼女の希望に沿いたいので、介護にかかる時間を意識して、膣を責めたてていく。ほいさ、ほらさ、ほいさ、ほらさ、矯子さんが餅を手早く返し、ぼくは杵で突く寸法だ。ある日信じられないことだけど、ご主人から電話があった。もしも意識をもった機械がはじめて人と話したらこんな具合だろうと予測できるような金属的な音声でぼくを非難するのだ。ひとりで風呂にも入れない癖に、性欲モンスターの矯子さんの肉欲を満たしてやっている恩も忘れて、人倫をきみは説くのかと言ってやった。電話は切れたのに、ご主人の鳴き声はずっと聴こえてきた。ラヴェルボレロのように、静かに静かに、彼はすすり泣くのだった。ぼくは矯子さんにはこのことは黙っておいた。トルコ桔梗は目を奪うほど鮮やかな紫に己を装飾し、矯子さんも自己憐憫を発酵させてマグマのように燃えるのだ。矯子さんに会社の娘と結婚するかもしれない、と言ったら、ご主人を三日も放って、伊豆の果ての温泉旅館にぼくを拉致して欲望の限界を突破した。彼女は泣きながら、あなたをけっして離しはしないと腰をふった。残念なことに、ぼくはぼくにも自由にならない。矯子さんが車椅子を磨いたり油をさしたりするのはそれはなぜか。ここは監獄なのだろうか。ぼくには分からない。ぼくはディルド。意識をもったハリボテの陰茎。彼女は電池が切れない限りは、ぼくを愛し憎んでくれるだろう。

Woman on the Salamanders

ーー非道いことは言わないでって言ったじゃないの。
彼女は言う。
おれはマールボロの赤をポケットから取り出して無言でいる。
ーーあんなにもう非道いことは口にしないでって約束したじゃないの。
ーー約束なんぞしていないぜ。
おれは言う。彼女のアイシャドウが雨に溶けてドロドロだった。身体は寒いし、状況はもっとお寒い。こんな時は、温めた葡萄酒などがあればいいんだが、とおれはひとりごちる。稲光がして、黒い鵜か何かが灰色の世界を飛んでいるのが見えた。ひどい雨だった。車がだめになった以上、そこいらを漁って番号を見つけてタクシー会社に電話でもしなきゃならない。バスの待合所には人はいない。今夜の最終バスは既に二時間前に出発したのだ。
ーーあんな風にわたしを苛んで苦しめて楽しいの?
おれは彼女の存在を限りなくゼロに近づけつつ、温めた葡萄酒と、そうだ、それから観葉植物が影を落とすカウンターに腰を落ち着けてマスターに真空管のサラウンドシステムのオペラか何かをかけてもらう想像をする。黒猫が客の邪魔にならない場所で毛繕いをしているのを眺める。時代遅れのランプの光が店内を照らす。おれはマールボロに火をつけようとライターをカチカチとするが、ガスが切れてうまくつかない。彼女は泣き始めた。長い足、長い手、長い髪、それが一斉に揺れている。神々しい眺めといっていい。
ーーそう悪い状況でもない。
ーーこれのどこが?
彼女は怒る。
おれはマールボロに火をつけることに集中するあまり、サックス奏者のようにエビ反りになったり、ドラム奏者のように肩を丸めてうずくまったりしたが、だめだった。窓を開けてライターを投げた。風と雨が入ってきてカーテンが異常なまでにはためいた。おれは急いで窓をしめたが、次の瞬間、地震のような震動と強烈な光と轟音が部屋を包み込んだ。バスの待合所のすぐ隣の納屋と楡の木に落雷したのだ。
彼女を見つめる。
彼女は眼を見開いている。
ーー気がおかしくなりそうよ。
ーーこんな夜ははじめてだわ。
ーークレイジーすぎるのよ。
彼女は意味のないことを口走るといきなり洋服を脱ぎ始めた。おれは彼女の頭のブレーカーが今の落雷でショートしたのかもしれないと思いつつ、口にくわえたマールボロに火をつけるためにどうすればいいか考えている。彼女の裸は何度も見たが、どうも今夜は美しかった。乳房も陰毛も臍も浮き出た血管さえ、何もかも。
彼女は突如として全裸で外へ出て行く。あっと言う暇さえない。外は豪雨で、雷が風が、大地を洗っている最中だった。彼女は彼女の魂は、裸で出て行ってしまったのか。永久に、おれの元から。
仕方なしに彼女を追いかけた。
実に凍りそうな夜だった。
マールボロに火をつけねばならなかった。
噫それにしても、外で見たのは、心を打つような情景だった。彼女はサタンに捕まってしまったのか。落雷を受けて真っ二つに裂けた楡の木や、納屋の屋根がブスブスと燃えている前で彼女は狂ったように踊っている。実にクレイジーな動き方だった。腕のスピードがあまりに早く残像が残るくらいなのだ。白い裸が見たこともない素早さでくねったりひねったりしている。
おれは静かに楡の木に近づいて、燻っている木のあたりにタバコを近づける。タバコに火がつくと、うまい煙が肺に充填されていく。タバコの味、彼女の暗黒の舞踏。まったくこれで温められた葡萄酒でもあれば最高なんだが、とおれは思ったのであった。



The garden of madness Pt.1

なんて哀しい歌なんだろう。ラジオから流れる男のくぐもった歌声が部屋に響く。蝋燭の炎が揺れている。僕はマデリーンの顔を見る。マデリーンは暗い顔をさらに暗くさせている。それじゃ、もうどうにもならないってわけだ。僕はつぶやく。マデリーンはうなづく。声さえかけてこない。ラジオの音楽はこういう場合は素敵を通り越して残酷でさえある。こんな歳をとった男の歌は特にだ。僕はコップに入ったろ過水を飲み干すと、背中にライフルを担ぎ、背嚢から少しの通貨コインをだして、机に置いた。それから何も言わずに外に出ると、黄味がかった六月らしい血走った赤い三日月がこちらを向いて嗤っている。僕はライフルに弾を装填する。スコープを使って隠れ家の窓を通して彼女を見つめた。マデリーンは両手で顔を覆って泣いているようだった。ガソリンを家の周りにまいてから家ごと彼女を燃やしてしまいたいような気分が胸によぎった。それじゃ、あまりにも自分自身が惨めだ。僕は歩き出す。奴隷商人から買い上げて、本物のレディーにしてやったつもりだが、彼女は僕のさらに上部の世界へ旅立ったのだ。磨き上げたのは、何も外見や文学的諦観だけではない。僕が彼女にしてやったのは何よりも霊魂の浄化だった。彼女が時折演じてみせた日常で流す涙、ふとしたところで噴き出す情念、からまる腕や、髪の流れ方、全てに霊感を吹き込ませたのは僕だった。人形から人間へ。隷属していたところから鎖を外して自由にしてやり、暖かい部屋や、思いやりをかけて。僕はマデリーンの美しさを誰よりも分かっている。なぜか?なぜならマデリーンは僕だからだ。彼女は僕の肋骨の一本からこしらえた人造人間ではないのか?野犬が数頭こちらへゆっくりと迫ってきている。僕は照準を合わせて、三番目に歩いているボスと思わしきドーベルマンの頭をライフル弾で吹き飛ばした。犬達は吠えながら退散する。木の木陰から例の「蛇」が様子を伺っている。ハイエナような死が、放射能汚染された水が、青空が、天井から降ってくる。僕は沼地の瘴気から肺を守るためマデリーンが作ったマスクを装着する。素人が入れば二度と戻れない森に入り、密漁者たち相手にドンパチやって明日からの糧をまた得ないとならない。驚くべきことだが、彼女のことはもう忘れつつある。僕はライフルの残弾数のことで頭がいっぱいなのだ。


首魁/ 宿六/ 高鼾

高山植物を盗むのはいかにも善良そうな老人クラブの面々だったりする。例えば、本能寺の変を省みて欲しい。高山植物が信長。老婆が明智光秀。秀吉には子種がない。高山植物の美しい花はもぎとられ、本能寺が炎上している。つまり老人クラブは恐ろしい組織だ。悪事を悪事で終わらせるか、革命に昇華できるか。それがクラブの大義名分をより明確にする。元共産軍アーミーの善波というリーダーをもった老人クラブの暗躍を当局は掴んでいたが、どうも民間の老人クラブを検挙するには憚られるような、そういう当局側の意向が強く働き、我々自警団が動くことになった。高山植物は高値で取引されている。闇市はタイマフィアが仕切り、なかなか手がだせないが、善波老人のクラブを潰すだってそう容易なことではない。我々自警団はレイザー銃で武装した8名ほどのメンバーで山へ向かう。神谷隊長は善波の経歴を途上で読み上げる。女衒。金貸し。人身売買。人身御供。なんでもござれだ。憎むのには丁度いい。女を作って蒸発した父親だと思って嬲り殺せばいい。山は暗いが、暗視スコープをつけてさえいれば転ばずには歩ける。自警団は幽霊がいるかどうかの話で盛り上がった。神谷隊長は参謀格の私に結論を言え、と強要する。我々自体が幽霊そのものだ。恐れることはない。そこで前方のメンバー前田と後藤が仰け反って、血を吐いた。敵襲だ。老人クラブの化学攻撃だ。我々は冷静に防化学マスクをつける。高山植物を煮詰めて作る劇薬が水風船に入れられて投げられてくる。狙撃手の砂川が無言で、長距離ライアット銃を撃ちはじめる。暗闇の中で電撃を受けた老兵たちが倒れていく。私は、前田と後藤に駆け寄り状況を確認する。せめてもの慰めは即死だということだ。マスタードガスを百倍に濃くしたような植物兵器だ。私は索敵レーダーを前田の死体から取って稼動させる。老人兵が動いている。その数、10。砂川に指示を与える。砂川は指示と座標を見ながら電撃攻撃を続ける。暗闇で花火が散る度に、情けない悲鳴がして、どさっと倒れる音がする。神谷隊長と紅一点の海老沢は警棒を振り回して二人の捕虜を得た。老人クラブは撤退を始める。私もゴム弾を老人の背中に撃ち込んでいく。索敵レーダーを確認する。ゴム弾と一緒に撃った索敵弾の効果がはっきり出ている。鼠め。撤退路をこれで簡単に特定できる。善波の組織はこれで壊滅することは時間の問題だ
。前田と後藤の死体を埋める作業は明け方にやった。後藤はカミサンに子供ができたばかりだった。捕虜の老婆二人を木にくくり、片方の老婆に拷問加えていく。老婆たちは洗いざらい喋った。それから二人に穴を掘らせ、そこに老婆たちを生き埋めにした。海老沢は30歳だったが、とてもいい女で、隊員たちの性欲の処理も担当していて、過酷な戦闘や陰惨な拷問で昂ぶった気持ちを海老沢の肉体を使ってそれぞれが昇華していく。私は海老沢と肉体的な関係はもったことがない。第一コンドームをしないとどんな病気をもらうのか分からない。私は歩哨に立った。断崖絶壁から朝日が昇る。こんな憂鬱な日にはこんな日光がありがたい。そこで目が覚めた。ひどい夢をみた。横で眠る女は海老沢のような色香はないが、仕方がない。妥協して、私はすぐに昂ぶった気持ちを寝ていた女を起こして叩きつけたのだった。